「たとへば、こんな怪談ばなし =名残雪= 前編」  横浜駅中央地下通路、ここは昼夜違わず混雑している。  行き交う人々、皆様々な表情や格好をして時に見ず知らずの赤の他人にぶつかりながら も己の目的地に向かって歩いていく…  ”袖刷り逢う縁も多少の仲”などとは言っても、ここでは”袖刷り逢い過ぎて擦り切れ る”と言った方が正解かも知れないと言えるほど混み合っているのだ。  そんな彼岸も近い、ある金曜の寒い日の夜、星野はこの人混みの中にいた…  夜とは言え、時刻はまだ宵の口には早く、周囲の人々は会社帰りのOLやサラリーマン、 これからデートでもしようと言うのか若いカップルなど大勢の人々が地下通路にひしめい ていた。  この日、珍しく会社を定時に退社した星野は、父の大好物である白賀堂の焼売を大事そ うに抱えて家路に着こうとしていた。  人混みの中を人の流れに従って歩いていると、急に星野を歩いていた人々の壁が開け、 目の前の視界広くなった…それは、まるで映画のモーゼの十戒を見ているかのようであっ た。  その開けた人混みの中に立って小さく手を振っている眼鏡の女性の姿を星野は認めた。  …その瞬間、星野は背筋が凍るのを覚えた。それは、決して外気のせいだけではなかっ た…  そして、すぐさま星野はきびすを返すと、元来た方向に戻ろうとした。  「ほーしーのさん!」  「ハイ・・・」  しかし、後ろから星野の名を呼ばれた途端、彼はまるで金縛りに会ったように歩みを留 めた…事実、彼の足は一歩も前に進めなかった…  おそるおそる振り返る星野の真後ろにいつの間にか彼を呼び止めた眼鏡の女性がニコニ コと微笑んで立っていた…  「た、た、…高瀬君?」  こめかみをひくつかせながらひきつった顔をして星野は言った。  「はい…覚えていてくれましたぁ?」 と、言いながら高瀬は星野の背中から肩越しに手を回した。  傍目には仲がいい恋人同士がじゃれあっている光景に見えるが、星野の立場にすれば、 とり憑かれたのである。  …ここで、「とり憑かれた」と言う表記が正しくないと思う読者諸兄が居るかもしれな い、しかしこの場合、高瀬は実際には死んでいるのであり、星野は彼女の位牌を目の当た りにしているのである。事の経緯は、前作の「たとへばこんな怪談話=傘の中=」を読ん でいただきたい…  横浜駅西口から出てすぐ側に運河がある。それに沿って歩いていくとNTTの交換局が あり、その側まで来ると人通りも少なくなる。  星野は無言で高瀬を伴って(引きずって?)、そこまで来ると空いているベンチに腰を 掛け、運河を眺めていた。  その間、高瀬が何を話しかけても、星野は曖昧な返事しかしなかった。  その間に彼はなぜ今頃になって高瀬の霊が出てきて自分に取り憑いたのかをしきりに考 えていた。しかし、結局星野は訳が分からなくなり、取り合えず、高瀬と話してみること にした。  「なっ…なんで、今頃化けて出来たのかな?」 と、こわごわと聞いた。元々、星野は幽霊妖怪と言った物を恐がる人物である。  丁度、座った場所は、柳の枝が長く垂れ下がっていて、幽霊にはおあつらえ向きの場所 であった。  星野が自分の言葉に曖昧な返事をしないのを変に思っていたのか、高瀬は星野がベンチ に座ってから話しかけるのをやめ、一人柳の枝と戯れていたが、星野の言葉にその手を止 め、  「まあ…化けてなんて…ひどいわぁ…一つ傘の下で帰った仲じゃないですかぁ」 と言って、高瀬は泣きマネをした。  「わ、悪かった…質問が悪かった…じゃあなんで、ここにいるのかなぁ?」  星野は高瀬が泣きマネをしているとは気づかずに、高瀬の肩に触れようとすると、  「はい、成仏できなかったのですぅ」 と、いきなりけたけたと笑ってきっぱり言った。  「どしてぇ?」  星野は大げさな驚き方をして、青い顔で言った。  高瀬は平然と話し出した。  「霊は現世に未練や思いが強いと、霊界に行けず、現世で幽霊に成るんだそうです」  「ゆ、幽霊…それって、誰に聞いたのかなぁ?」  「はい…それは、あなたの守護霊さんです!」  「しゅっ、守護霊?、し、静さんにぃ!?」  「はい…」 と、言って高瀬はニッコリ微笑んだ。  星野は驚いた…彼は数年前、ひょんな事から自分の祖母である静の霊と話が出来るよう になった。そして、その後祖母の霊が現在の星野の守護霊になり、彼女に助けて貰って、 幾つかの出来事を解決していったのである。  …この話しも、前作「たとへば、こんな怪談話」や「たとへば、こんな怪談話2=井戸 神様=」に書いてあるので、そちらを読んでいただきたい…  「なんで、静さんが?」  青い顔を更に蒼くして、星野は訪ねた。  「前に星野さんと逢ったときは、なんともなかったのですが、ここ数年、星野さんの回 りのガードがきつくなって、近寄れなくなったのです」  「ここ数年…?」  高瀬の言葉を聞き、星野は訝しがった。  「あら…やだぁ、私言うのを忘れてたけど、私星野さんが私の家でお線香をあげてくれ たときから、ずーっと星野さんの側にいたんですよ」 と、高瀬はけたけたと笑いながら、右手で上下に扇ぐ仕草をした。  「え…っ」  また、星野の顔が一層蒼くなった。  「だけど、急に近寄れなくなっちゃって、会社の入り口にある桜の木の下で外から星野 さんの姿を見て毎日泣いていたんです…」 と、高瀬は悲しそうな声で言った。  「でも…ある日、そんな私の元に星野さんの守護霊という霊(ひと)がきて…それで話 をしている内に意気投合して…」  「…それが静さんで、そのときその話をしたんだね…」  星野は高瀬が幽霊であることを忘れて、高瀬の話を聞き入っていた。  「はい…」  高瀬はコックリと頷いた。  「それで、どうすれば、俺に付きまとわなくなるの?」  星野は怪訝そうな目で高瀬を見ながら言った。  「…あら、迷惑ですかぁ?」  そんな星野の目をまったく意に介さないかのように、キョトンとした顔で高瀬は言った。  「嗚呼…いい迷惑なんだけど…」  星野が突き放すように言うと、  「そんなぁ…」 と、急に悲しそうな声をした。  途端に星野はおろおろして、高瀬を宥めすかすように  「どうしたら、成仏できるの?」 と言った。  「そうねぇ…」 と、高瀬は顎に人差し指を当てて考えるそぶりをして、いきなり  「わかーんなぁーい」 と、人差し指を頬に宛てて、いわゆるブリッコポーズで答えた。  今まで、真剣な話を聞いているつもりであった星野はその場でコケそうになり、  「うそを言うんじゃありません(このアマーっ)!」 と、こめかみをぴくつかせながら言った。  「はーい、うそでーす。実は、思いを遂げると成仏が出来るそうです」 と、ニコニコしながら言った。  星野は高瀬の首を締めてやろうかと思ったが、所詮相手は幽霊、一度死んだ者の首を絞 めてもしようがないと諦めた。  星野は全身の力が抜け、うなだれながら溜息混じりで言った。  「思い…思いねぇ…」  「はい」  高瀬は、相変わらず平然としていた。  「それで、俺が何をすれば高瀬君の思いが遂げられるのかなぁ?君の大切なブローチは もう探して、君のご両親に返したはずだけど…」 と言いながら、星野はうなだれていた首を高瀬の方に向けた。  「はい、それはもう知っています。その節は有り難うございます」 と、高瀬はペコリと頭を下げた。  「では…あと、何があるの?」  ここまで来ると、星野は半ば自棄気味なっていた。  高瀬は星野の質問を聞くと、急にしおらしくなり、  「あのーー、じつはですねぇ…」  少しうつむき加減で上目使いでそう言うと、いきなり立ち上がって星野に対し、背を向 けて2,3歩歩き出したかと思うと、両手を後ろに組んでまたこちらに向き直り、腰をち ょっと曲げてしなを作り、首を傾け、  「星野さんと、デートしたいんですぅ…」 と、言うと急に赤い顔をして星野に対して背を向けてしまった。  「ででで、デートォ?」  星野が仰天してどもりながらも言うと、  「はい!」  高瀬は星野に背を向けたまま、大声で運河に向かって言った。  星野はその言葉を聞いて頭を抱えてしまった。  「デート、デート…ねぇ…」 と言って、星野は頭を抱えたまま黙り込んでしまった。  しばらくして高瀬が近寄ってきて、星野の前にしゃがみ込み、  「やっぱり…だめですかぁ?」 と、頭を抱えている星野の顔をのぞき込んで言った。  「うーーん」  「この話し、星野さんがOKしてくれないと、私成仏できないんですけど…成仏出来な いと、私恨んでずーーーっと星野さんに取り憑いて一生邪魔し続けますからね!」 と、脅し口調で言った。  「ひょっ、ひょっとして、俺のことを脅してる?」  星野は抱えている頭を少し上げ、のぞき込んでいる高瀬の目を見た。  「はい」  高瀬はニッコリ笑って答えた。  「おーい、冗談じゃないよぉ!」  星野はまた、頭を抱えてしまった。  そんな星野の姿を見て、高瀬はムッとして、  「なんでですかぁ!簡単な話じゃぁないですかぁ!!」 と言って、高瀬は星野の体を揺すった。  「私とデートをするのがそんなに嫌なんですかぁ?」  「私、そんなに魅力ないですかぁ!!」  「私…」 と言って、高瀬は本当に泣き出してしまった。 藤次郎正秀